歴史写真館・古写真ギャラリー|虎ノ門金刀比羅宮【公式】
~金刀比羅宮の移り変わり~
江戸時代

当社や虎ノ門界隈は歌川広重(初代、二代目)の「江戸名所図会」「江戸名所四十八景」などの画題にされています。
虎ノ門乃外なる金比羅大権現は象頭山の写にして月毎の十日には縁日と称して出商人の見勢多く参詣の老若男女門内押し合ひ群集をなす利益を蒙るもの甚多し
絵の左方には金刀比羅大権現の幟が見え、当時の京極家藩邸や虎ノ門界隈の賑わいが見て取れます。
明治初期

中門通りの様子で、正面に見えるのが鳥居です。
通りに面しているお店の看板に、当宮の御神紋である丸金が確認できます。
通りに面しているお店の看板に、当宮の御神紋である丸金が確認できます。
明治初期

先の戦災で焼失する前の御社殿です。
当時は鳥居の紙垂が8枚だったようです。(現在は4枚)
※紙垂とは、一般的にその名の通り紙でできており、注連縄に垂らし、神域を示す象徴とされるものです。
当時は鳥居の紙垂が8枚だったようです。(現在は4枚)
※紙垂とは、一般的にその名の通り紙でできており、注連縄に垂らし、神域を示す象徴とされるものです。
明治44年

参拝者で賑わう境内の様子です。
昭和23年

東京大空襲により焼失してしまった御社殿を再建するに先立ち、地鎮祭をご奉仕している様子です。
昭和25年6月10日

幣殿・拝殿の上棟式に、三笠宮崇仁親王殿下がご参列されました。(左・最前列)
昭和25年6月10日

上棟式後の餅撒きで賑わう様子。
昭和26年

桜田通りから見た様子。
前の通り(桜田通り)に都電の線路が見えます。
前の通り(桜田通り)に都電の線路が見えます。
昭和26年11月10日

落成式において、当時の前大蔵大臣であった泉山三六氏より祝辞を賜りました。
昭和26年11月10日

御神楽や稚児行列などが、虎ノ門界隈を盛大に練り歩きました。
昭和44年



現在



毎月10日には境内に露店が出店し、賑わいを見せます。(曜日や天候によって出店状況は変わります)
~虎ノ門界隈の移り変わり~
明治初期

虎ノ門付近にあった江戸城の外堀は、明治初期頃まで存在していたようです。
写真は現在の文化庁付近であり、当時は『虎ノ門見附』という名でした。
写真は現在の文化庁付近であり、当時は『虎ノ門見附』という名でした。
大正元年9月

旧虎ノ門外の様子。
大正12年9月1日

関東大震災により、都内は壊滅的な被害を受けましたが、奇跡的に当宮は大きな被害を免れました。(写真の中央が当宮)
昭和5年

虎ノ門交差点から桜田本郷町(現在の西新橋付近)方面を写した写真です。
『写された港区』より
『写された港区』より
昭和9年

虎ノ門にあった路面電車の停留所の様子。尚、当時使われていた線路の敷石は現在、当宮の末社の参道や周辺の石垣に使われております。
『東京モダン師岡宏次写真集』より
『東京モダン師岡宏次写真集』より
昭和37年

虎ノ門交差点付近です。
右の建物は文部省で、中央に見えるのは旧満鉄ビル(現在の商船三井ビル)です。その奥に虎ノ門病院が建っています。
『みなと写真散歩』より
右の建物は文部省で、中央に見えるのは旧満鉄ビル(現在の商船三井ビル)です。その奥に虎ノ門病院が建っています。
『みなと写真散歩』より
昭和42年

明治40年頃から品川―飯田橋間を走っていた《3系統》の都電(東京市電)です。
左の建物は文部省です。
左の建物は文部省です。
昭和42年12月9日

都電が走っていた頃の虎ノ門交差点です。
昭和40年代になると車やバスが増え、都内の渋滞原因の一つとされた都電は、次第に廃止されていきました。
『都電最後の日』より
昭和40年代になると車やバスが増え、都内の渋滞原因の一つとされた都電は、次第に廃止されていきました。
『都電最後の日』より
現代


